― 荒事処理屋サーゲイト 昼 ―
メルティア
「お帰りなさいませ師匠。それで、銀誓館からの要請とはなんだったんですか?」
ルルティア
「うむ……内容的にはたいした事は無い。リビングデットを1体始末して欲しいとただそれだけなのじゃが問題は場所の方でな」
メルティア
「場所、ですか?」
ルルティア
「うむ……はっきり言ってかなりやばい。妾でなければならない理由も良く分かった」
メルティア
「その、場所とは?」
ルルティア
「……ソマリアじゃ」
メルティア
「――成程、それはかなり厄介ですね」
ソマリア (Somalia)
東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家。ジブチ、エチオピア、ケニアと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続き、エチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が首都を制圧したものの、依然として内戦状態が続いている。
以前からソマリランドとプントランドが面するアデン湾は海賊行為の多発海域である。国際商業会議所(ICC)国際海事局(IMB)の調査によれば2001年にインド洋側でも海賊による襲撃が報告されるようになり、2005年にいたって多発し、インドネシア周辺海域に次いで海賊行為が多い海域として急浮上した。以来2007年まで上位5海域に位置づけられ、沿岸から最遠で390海里まで達するソマリア拠点の海賊によってアデン湾も含むソマリア周辺海域は船舶航行にとって非常に危険なものとなっている。
日本の船舶が襲われる事も多い為、現在自衛隊からも護衛艦を派遣している。本来、こういった海外での軍事行動を極力行わない日本国の自衛隊が部隊を派遣していると言うだけでこの地域の危険性の高さは計り知れないだろう。
ルルティア
「とても学生を派遣できる場所じゃない。日本人なんぞカモがネギ背負って歩いてるとしか思われんじゃろうな」
メルティア
「そこで我々の出番、と言う訳ですか」
ルルティア
「いや、今回は妾一人で行く」
メルティア
「お一人で――?」
ルルティア
「お前なんぞ連れて行ったら髪の毛一本残さず売り飛ばされるぞ」
メルティア
「――師匠。私とて一般人相手に不覚を取るような事は――」
ルルティア
「そー思っとる時点でお主の負けじゃ。いきなり遠距離からライフルで狙撃されたらどうする」
メルティア
「視線を避け、狙撃される可能性を潰します」
ルルティア
「うむ、我が弟子としては正答じゃ。じゃがな、それはあくまでライフル一本で襲われた時の話」
ルルティア
「……機関銃を持った一般人、それも市民に紛れて突然十数人に囲まれてもお前は世界結界に影響させる事なく排除、或いは脱出できると言うのか?」
メルティアは僅かに間を空けて答えた。その僅かな間に何十、何百の攻略法を思考し、その上で不可能と判断したのだろう。
メルティア
「しかし、それは師匠には可能なんですか?」
ルルティア
「不可能じゃな」
こちらはまったく間を空けずして即答である。
メルティア
「それなら――」
ルルティア
「たしかに、その状況まで持ち込まれれば不可能じゃ。しかし、妾はまずその状況に持ち込まれない」
メルティア
「――そういう、事ですか」
ルルティア
「うむ。そういう事である」
悠久の旅人。
時間も空間も飛び越えて幾多の世界を旅しているルルティアが自分の事を指し示す言葉として用いる物のうちの一つである。
ルルティアはどんな相手でも一定以上の知性を持った存在であれば会話する事が可能だ。しかも、周りの人間に全く違和感を与えない。これは彼女自身も出自の分からない特殊能力である。
加えて、自分を目立たなくする為の偽装についてもルルティアはスペシャリストだ。一目ではほぼ確実に現地の人間と思われるだろう。普段はどちらかと言えば目立つ行動を好むルルティアだがそれは逆に必要な時に自分の身を隠す為の物である。
豊富な経験と実績。そこから導き出される直感。それこそがルルティア・サーゲイトの最大の武器だ。
ルルティア
「最も……ターゲットの居場所はさっぱり分からんがな!」
メルティア
「そこは、私の出番と言う訳ですね」
ルルティア
「うむ、よろしく頼むぞ。妾は荷造りをしてくるからな」
ルルティアは銀誓館から預かったターゲットの資料をメルティアに手渡した。
メルティアはそれに目を通しながらLANケーブルを自分に接続した。
メルティアは機械ではない。生物学上では完全に人間だ。しかし、彼女の体内には各種ナノマシンを血と肉から精製できるナノマシン精製装置がある。しかも、その装置自体も臓器と同じ血と肉で出来ている。
ナノマシンテクノロジーを自分の脳で直接操る事が出来るメルティアの情報処理能力は人間の領域を遥かに凌駕している。人間の曖昧さと機械の確実さを併せ持つメルティアの脳は比類する物無き情報処理装置と言えるだろう。パソコンも脳も電気信号で情報をやり取りしていると言う点においては同じであり、世界中に情報が溢れている現代であればそれを正しく生かす事が出来る。
それがたとえ海外に、しかも紛争地帯に居を構える者であろうと彼女から逃れる事はできない。たった一本の電話線でも引かれていれば捕らえる事は可能だからだ。
― 荒事処理屋サーゲイト 夜 ―
ルルティア
「ただいまー」
ルルティアが海外に……しかも紛争地帯に渡航するには余りにも少ない荷物を持って帰ってきた。基本的に現地調達するのがサーゲイト流である。
メルティア
「お帰りなさいませ、師匠」
ルルティア
「首尾は?」
メルティア
「問題ありません」
事務所のプリンターで印刷した資料をルルティアに渡す。そこにはターゲットの現在地はもちろん、詳細なタイムテーブルまで記載されていた。それでいて無駄な情報は無い完璧な資料である。
ルルティア
「ふむ……とりあえず今日中に頭に入れておかないとならないな。明日は早朝に出るから見送りはいらんぞ」
メルティア
「了解しました。それではお気をつけて」
― ソマリア モガディシュ国際空港 朝 ―
ルルティアはいつもの格好とは何もかも違っていた。
ほぼ完全に肌をさらさない衣服に、特徴的なストレートの黒髪もばっさり切ってスカーフの中に隠している。見せていない肌も塗料で黒人に見せかけている。唯一外にさらさなければならない目も、目立つ紅瞳をカラーコンタクトで黒に見えるようにしている。どこから見ても敬虔なイスラム教徒であった。
しかも口を開けば出てくるのは自然な発音のソマリ語かアラビア語であり内外共に一切隙が無い。
ルルティア
(とは言え滞在できる時間は多く見積もっても一日……行動は迅速に、じゃな)
空港、と言うには余りにも何も無い場所で、偽造のパスポートで入国処理を済ませ、足早にその場を離れる。
この隙の無い偽装も、生活習慣などちょっとした事でボロが出てしまう可能性がある。時間が経てば汗で塗料が落ちてしまうかもしれないし、偽装だとバレればただですまない事は確実だ。
そもそも、外出する女性そのものが少ないのでそれだけでも襲われる危険があり応戦はもちろん不可、逃げるにしても自前の俊足を使う事もはばかられる。
ルルティア
(確か……こっちの方面じゃったな)
ルルティアは密かに視線を走らせ、現地の生活習慣に関する情報を集める。それと同時に頭に叩き込んだ地図を思い出しながらターゲットの居る場所へと歩を進める。
ルルティア
(……しかし、ここは……本当に2009年の地球上に存在しているのか?)
そこは、戦場だった。
どっちを見ても銃を持った男が平然と歩いている。たまに聞こえる炸裂音は銃声で間違いない。機銃を取り付けた車が何台も道路を走り、銃器が平然と露店で売られている。
間違いなく戦場でありながら、ここは日常なのだ。根本的に全く違う世界を旅しているルルティアですらここは異常な土地としか思えない。
生と死が隣り合わせで存在する世界。それがソマリアという国。
ルルティア
(銀誓館も無茶を言う……こんな所のゴーストなんぞほっとけばよかろうに……いや、こんな所だから、か?)
ルルティア
(生きる事無く死をバラまくだけの存在であるゴースト……その存在はこの危険な国を最悪の形に変えてしまいかねない)
ルルティア
(この国のまだマシといえる所はこの国の中だけで争いが完結している事。他の国から戦を持ち込まれても戦場がこの国の外になる事は無い)
ルルティア
(だがもし、力のみが意味を成すこの国で圧倒的な力を持つゴーストが動くような事があれば……少なくとも銀誓館は無視は出来ないじゃろうな)
常識という概念で非常識を打ち消す世界結界。
しかし、その常識の定義が危うい場合……力のみが支配権を得る手段であるような場合。大量の死人が出ても常識の枠の中に納まってしまう場合。
この国をゴーストが支配する。それは、決してありえない話ではないのだ。
ルルティア
(こんな所に大量の学生を戦力として派遣する? 全く、冗談にしても笑えなさ過ぎる話じゃ)
言うまでもなくそんな事は不可能だ。能力者として力を振るってしまえば世界結界に大きな影響を与えてしまうだろう……最悪、それだけで破壊してしまいかねないほどに。
真に恐るべきはゴーストではない。人間の方だ。常識という結界で閉じ込め、真実から隔離してある人間だ。与えられた常識が偽りであると気づかれたらどんな惨劇が起こるのか予測がつかない……この世界全体が戦場に、この国のようになってもおかしくは無いのだ。
ルルティア
(戦場で生きるのは妾の様な兵士だけでいい。生きるべき業を背負い、死ぬ事も許されざる罪人だけでいい……!)
こんな国はあってはならない。
だが、国を変えるだけの力は……ルルティアには無い。それが出来るとしたらこの国を本気で救おうとしている人間だけだ。それも少数ではなく、大勢の人間の力が必要だ。
戦場で生まれ、戦場で育ち、戦場で生きる事を運命付けられたルルティアは、何処までも救われないこの国の現状を嘆く事しかできない。
ルルティア
(……今は、出来る事をするだけか)
ルルティアは終わり無き難題は投げ捨てて、自分の果たすべき目標のみに集中する事にした。
少なくとも、それは必ずしも必要な事だからだ。
ルルティアは、目的の屋敷へたどり着いた。そこはとある氏族の代表が居る屋敷だ。当然、警備は厳重。近づくだけで殺されてもおかしくない。
ルルティア
(勝負所か……一気にケリを付けるッ!)
ルルティアは、小さな声で開戦の言葉を呟いた。
瞬時にしてルルティアの姿が変わる。肌を隠す衣装も、塗料も、何もかもが剥がれ落ち、白いロングコートをなびかせる戦姫へとその姿を変えた。
少なくとも、一般的な女性が突如変身して突っ込んでくるような事はこの国の常識ではなかった。周囲の人間は無関心で、ただ警備についていた男だけが突っ込んできた何かに遠慮なく銃弾を浴びせてきた。
ルルティアは詠唱兵器のコートを盾に、弾幕を突き抜けて男達に斬撃を叩き込み沈黙させた。そしてそのまま屋敷の中へ正面から強行突破を仕掛ける。
声を荒げて銃弾を叩き込んでくる人間を、ルルティアは容赦無く斬り散らした。他の手段が無いのだ。氏族の絆で守られたこの屋敷に潜入するのは不可能だ。それなら強行突破以外の手段は無い。
魔剣士であれば使えるはずの”影纏い”。人間の目に映らなくなるこの能力をルルティアは使えない。それは単純に彼女が魔剣士では無いからだ。
白刃で鮮血を撒き散らし、突き進むその姿は”凶戦姫”そのものであり、この世界ではなりを潜めていた彼女の本性。相手がただの人間でも一切容赦はしない。
ルルティア
(許せとは言わん。ただ、己の不運を嘆け。妾を呪え……妾は、その全てを受け入れるッ!)
それは、既視感を感じさせる光景だった。違うのは、その館の主は部屋の隅で震えているという事だけだ。
男
「ば、化け物ッ!」
銃弾を平気で受け止め、白刃のみで幾多の人間を斬り散らし、返り血を全身に浴びたルルティアは正しく、化け物と呼ばれてもおかしくなかった。
一切感情の感じられない声で、ルルティアは告げる。
ルルティア
「お前は、何人の命を喰らった?」
男
「仕方がなかったんだッ! 自分でも異常なのは分かってた! でも、だが、しかし……仕方なかったんだ!」
ルルティア
「生きた人間の肉を食う事が、か?」
男
「仕方なかったんだ! 頼む、許してくれ! もう人間を食べたりしない! こんな力は捨てる! だから、頼む、許してくれ!」
男は、必死に言い訳を繰り返し、許しを請う。無慈悲な化け物に。
ルルティア
「……分かっている。我が名、ルルティアの元に汝の罪を許そう」
ルルティアは、大鎌を構え、
ルルティア
「お前の罪は妾が背負う。だから安心して眠れ」
男を切り捨てた。自分が何者であったか、何者になっていたかすら知らなかった……ただ、突然降って沸いた力を振り回しただけの哀れな男を。
― 成田空港 ロビー 夜 ―
ルルティア
「やはり……日本の空港に着くと帰ってきたという感じがするのう……」
メルティアが戸惑い気味に尋ねてきたのは無理も無い。ルルティアは帰りの飛行機に乗る前にもう一度偽装をしなおしたからだ。
ルルティア
「うむ、妾である……まあ、分からなくても仕方ないか」
ルルティアは頭部を覆っていたスカーフを取ると、長く、真っ直ぐな黒髪解き放った。
黒のカラーコンタクトもケースにしまうと肌は黒くても、大分いつものルルティアに見えるようになった。
メルティア
「――お帰りなさいませ、師匠」
ルルティア
「うむ、ただいま。しかしよく分かったな?」
メルティア
「まあ――そうですね。何処と無く立ち振る舞いが師匠のような気がしただけだったのですが」
ルルティア
「むぅ、あっさり見破ったお主を褒めるべきか見破られた事を恥じ入るべきか……微妙な所じゃな」
ルルティアは溜息をついてそんな事を言った。
ルルティア
「ちょっとトイレでイグニッションしてくる」
メルティア
「――そういう使い方もどうかと思いますが」
しかし、一度イグニッションすれば元の姿に戻るので実に便利な物だった。日本に帰ってしまえばこの格好は逆に目立つだけで特にメリットも無い。
メルティア
「お帰りなさいませ、師匠」
ルルティア
「さっき聞いたぞ?」
すっかりいつもの姿に戻ったルルティアを見てメルティアはおもわずもう一度迎えの言葉を言った。
メルティア
「いえ、なんとなく――」
姿が違うだけでさっき話した相手は別人のように感じていた……立ち振る舞いで見抜いたと言うのに答えを教えられても実感が無かった。しかし、こうしていつもの姿に戻ってようやくルルティアが帰ってきたという実感が沸いた。
ルルティア
「さっさと帰ってシャワーが浴びたいな……まったく、もうあんな所に行くのはこりごりじゃ」
イグニッションで元の姿に戻れると言っても、なんとなく違和感は残る。多くの能力者が感じる違和感をこの師匠もまた感じている事にメルティアは少し可笑しくなってしまった。
ルルティア
「……どうした。妾が帰ってきたのがそんなに嬉しいのか? 一日も経っていないと言うのに」
メルティア
「まあ――そういう事にしておきましょう」
ルルティア
「むぅ、何だその含みのある言い方は」
今日も日本は平和である。些細な事で笑えるのはその証明なのだろう。たとえその平和の裏に潜む者がいると知っていても。